タイトルにもあるように僕はバツイチです。
高校は進学校、放射線技師を目指して国公立大学に進学。国家試験に合格し、大きめの病院で放射線技師として現在も働いています。
今振り返ると僕は昔から自分の意思で物事を決めてこなかったと今は思います。
思春期の僕
例えば小学生のスポーツ少年団。野球が好きなわけではなかった。仲の良かった近所の友達が入ると言ってて、一緒に遊ぶ時間が増えたらいいなと思って入りました。
中学の部活は少年野球で肘が痛くなり、野球以外のことをしたいなと考えていました。運動部には入りたかった。姉がしていたソフトテニスでいいやと思って入部。
仕事もそう。高校の時に練習して踵を打撲。痛くなって病院に行ってレントゲンを撮る事に。夕方で誰もいない待合なのに待たされ・・・名前を呼ばれて中に入るとどこが痛いか聞かれ、適当に写真を撮って終了。(今ならやったる事はわかりますが笑)
放射線技師って楽そうだな。血も見ないだろうし病院職って安定してそう。
それだけで仕事を選びました。
思春期にやんちゃする事もなく。可もなく不可もなく、波風無くすーっと人生過ごすのだろうと思っていた。結婚して子ども作って家建てて。。。自然とそうなるものだと思ってた。
離婚するまでは。
結婚の経緯
結婚をしたのは30歳の頃。周りの友達も結婚してきた。
そろそろ結婚でもするかなぁと思った時にFacebookのOmiaiアプリで出会ったのが前の奥さん。
おっとりしてて、あまり干渉してこない人でした。その前に付き合ってた人と見た目も中身も全く違う人。結婚するならこんな人だろうなぁと思って付き合いました。
前の奥さんも結婚するなら僕みたいな人だと思ってくれてたよう。付き合い出してから結婚まではトントンと話は進み結婚。
しかし、彼女とは1番大事な価値観がお互いに違うことに気づいてなかった。
それは
お互いが結婚するための条件しか見ていなかった事。
一人暮らし経験してる事や、定職がある事。家族を大事にしているとかそんな事ばかり重視していました。
僕の価値観は、結婚は相手と共に歩んで行く。進む方向に違いがある時は話あって決める。とお互い思っていました。
しかし彼女は相談したり話をして共有することはせずに、自分で話を完結して干渉されるのもするのも嫌だったようです。
方向性を決める話会いはいつも平行線。途方に暮れてしまいました。
変わろうとするも・・・
それでもこの人となら死ぬまで一緒にいたいと選んだ人なので、限界までやれる事はやってから別れたいと後悔する。
そこで自分を変えることから始めました。
7つの習慣やアドラー心理学を学びましたが、どれもその時にはピンと来なくて表面をなぞることしかできませんでした。
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全ての原因は自分にある。
この時は相手が悪いと思うことが多々あったし、なんで相手が悪いのにこっちが謝らなければいけないのだろう。
と思っていました。
自己啓発本を何冊も読み進めて可能な限り実践しましたが、納得する成果は得られず。
むしろ彼女からは
「あなたは私を変えたいから自分を変えようとしている」
と言われ余計に悪化しました。
この時には
「そっちが変わらないならこっちが変わるしかないやんか。何を言っているんだ!」
と思ってイライラしていました。←(今になっては本質を理解していなかったからなぁと心から思います。)
相手を変えることに注力して自分の事が見えてなかった。
相手を観察して刺激しない様に行動する。しかし、元奥さんからすると監視されてると感じて、ますます関係が悪くなる。
元奥さんからは離婚する2年前から別れたいと言われていましたが、僕がやれる事やってから別れたい。と切り出したので少し考え方を変えて今のままの状況で続けるならどうすれば続けられるか。を考えるようになったそうです。
その結果が
『極力関わらないようにする。第三者(子ども)を交えて暮らす』
でした。
決断
子供を離婚しないためのツールとして産むこと。
冷え切った夫婦の間に産まれた子は幸せなのか。
そんな自分で幸せなのか。
とずっと考えてました。周りの影響で結婚したけど、彼女の両親は素晴らしい人達。裏切りたくない。との思いから答えが出ない日々を過ごしました。
しかし決断せざるを得ない時が来ました。
その日は僕も彼女も仕事をしていました。僕が先に帰ってくつろいでいるところに彼女から『今から帰宅する』とLINEがありました。
すると、、、
寒くもないのに、身体がブルブルと震え出し止まりませんでした。
この時初めてこんなになるまで自分を追い詰めていたのをその時気づきました。
そしてやっと直感的に『離婚しよう』と思えました。
元々相手も離婚したがってたのでスムーズに話が決まり。2年間の夫婦生活に終わりを告げました。
まとめ
離婚までの経緯をご紹介しました。
自分から離婚を言い出したけど、本当にこれでよかったのか。と思う日々でした。荷物が少なくなっていく前の家を見ると切なくなり、新しい家に引っ越した時も部屋が妙に広く感じました。
しかし僕が幸運だったのが、親身になって話を聞いてくれる友達がいたことです。
本当に彼らには感謝してます。彼らがいなかったら本当に壊れていたと思います。
自分の意思がない決定には後悔がついてくる。
これが僕が離婚して学んだことです。皆さんにはそのようなことがない事を切に願います。
夫婦は一番近い他人。そんな当たり前のことに気づかなかった僕に教えてくれた漫画。たわいもない会話や行動の中にも他人を尊重することが描かれています。
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